あなたの「足枷」になってる言葉は何ですか??
「やりたいコトをやるには、やりたくないコトもやらないといけない。」
私はこう言われて育ちました。
小中高と野球をしていたのですが、
中学に上がる時、私は学校の野球部ではなく、地域ではそこそこ強豪のクラブチームに入りたいと言いました。
強豪に入れば上手くなれる!!と息巻いていたのですね(笑)
すると、母親からある条件を出されました。
「習字(小1からやっていた)を中学に入っても続けるのならクラブチームに入っても良いよ。」
クラブチームの練習は部活動と違い毎日ではなかったので、両立することは可能でした。
ただ、私は当時習字の時間があまり好きではありませんでした。
というかむしろ嫌いでした。(笑)
中学に上がればやっと辞められると勝手に思い込んでいたので、母のその条件には絶望したのを覚えています。(笑)
ですが、強豪に入り成長したいという欲望が勝り、両立することを決めました。
そして私の、野球と習字の両立中学ライフが始まるのですが、私はことあるごとに習字だけサボろうとします。(笑)
そしてすぐバレます(*´Д`)
母親のあの嗅覚はいったいなんなのでしょうか・・・(笑)
そしてその度に言われていたのがこの言葉。
「やりたいコトをやるには、やりたくないコトもやらないといけない。」
人生生きていればやりたくないことなんて山ほどあります。
ましてや、自分が達成したい目標(やりたいコト)があれば必然的にやりたくないコトも発生してきます。
企業したければ、どんなに数字が苦手でも多少は経理のことを勉強しなければいけません。
でもやりたいコトのためなら、大概のことはやれちゃうもんですよね(*´▽`*)
そのことを、母は中学一年の私に、「野球をするなら習字も」という条件を通して学ばせたかったのかもしれません。
ここまでなら、母の言葉を思い出した息子が感謝を示す素敵なお話です。
ですが、むしろ話はここから始まります。
私は母からのこの教訓を、大いに勘違いしたま大人になっていったのです。
そして私を成長させるはずのこの教訓は、むしろ私を縛る「足枷」となっていくのでした。
私の中の自動変換
何故そうなったのか・・・
いまだによくわからないのですが、言葉とは怖いものです。
「やりたいコトをやるには、やりたくないコトもやらないといけない。」
という母の教訓。
これが私の中ではいつの間にやら
「やりたくないコトも、やらないと生きてはいけない。」
こう自動変換されていたのです。
それほど習字が嫌だったのか・・・(笑)
それか、「~~~しないといけない」という言葉は強く頭に残るということですかね。
あとは否定的な文の方が頭に残りやすいですよね。「やりたくないコト」の部分。
この2つ一見すると同じに見えますが、全然違いますよね。
「やりたいコト」を成し遂げるには、「やりたくないコト」は必然的に発生します。
ですが、「やりたくないコト」をやらなかったからと言って、生きられないはずはありませんよね。
人間の生存本能さえ放棄しなければ、「やりたくないコト」をやらなくても生きていけます。
この人生最大の「勘違い」が私の「足枷」になって私は長年苦しむことになりました。
「勘違い」の弊害
さて、この「勘違い」により何が起こったのか。
自分で選択する。
自分で自分の人生を考える。
こういったことをしなくなったのです。
例えば大学受験。
私の高校では、国立を受験する人はかなり少数でした。
私は学校の中では割と成績は良い方でした。
私は近くの私立大学を志望していたのですが、
「あなたが国立受けないで誰が受けるのよ!!」
という担任の一言で大して行きたくもないのに国立を受験し、落ちて受験料とエネルギーを無駄にするという出来事がありました。
「やりたくないコトも、やらないと生きてはいけない。」
=「先生や上司、親等の目上の人の言うことは、絶対に聞かないといけない」
体育会系で育ったのも相まって、こんな形に「勘違い」が育ちました。(笑)
その結果、段々と自分で選択する考えるということをしなくなったのです。
そしてそれは、自分の本当の感情を押し込め、自分ではない他者の人生を生きることに繋がりました。
「他者の人生を生きることが私にとっての正義」といういつしかとても重たい「足枷」になっていました。
私は漠然とした違和感を感じながらも、それを最近まで無視し続けました。
無視し続けた結果、「本当の私」が我慢の限界に達し、2019年の末に「うつ」の症状として現れたのだと考えています。
あなたにも、「足枷」になっている言葉がありませんか?
一度振り返ってみてください。
子供の頃に言われて、今でも強烈に頭に残っている言葉。
そして分析してみてください。
その言葉が、今の自分にどう影響を与えているか。
私の場合は、人からの提案を無下にできなかったり、自分では本当にやりたくないようなことも断れずに自分の心を傷つけるようなことが多々ありました。
「足枷になっている。」という事実に自分で気付いた瞬間、その言葉に対処できます。
まずは気付きましょう。
そして、今だから出来る素敵な解釈をその言葉につけてあげましょう。
全ては自分らしいあなたのために・・・